城下の斜面で育つ金魚と魚の移住
どんな伝承か
日本じゅうに出回る金魚の子は、その多くが大和の郡山から運ばれてくる。旧城のかたわらの日当たりのよい斜面に池が並び、もとはみな藩主が手ずから飼っていた金魚だという。ここから眺めれば、歌にも物語にも名高い南の山々もただの草山にすぎず、生駒おろしが吹けば大きな雲の影が大和の平野を北から南へ渡ってゆく。金魚はそんな土地に生まれ、なかには西洋まで渡るものもある。魚は人の手で驚くほど広く移り住んだ。秋田では鯉も金魚も新参で、文化のころから増えたといい、鯰が入ったのはさらに遅かった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。