城兵の銃撃にも動じぬ謙信の巡視
どんな伝承か
天文二十二年八月、上杉謙信は上州金山から兵を進めて忍城を囲んだ。城主成田長泰は長男の氏長、次男の泰喬を先頭に一族郎党を励まして必死に守った。城の南北は大沼で水が満ち、東西もわずかな地続きの細道に空堀と高い石垣を構えた要害で、攻め手には不利だった。そこで謙信は自ら陣頭に立ち、わずかな供を連れて追手の佐間口から下忍口まで馬を回して戦況を見て回った。望楼の城兵がこれを討とうと鉄砲を一斉に撃ちかけたが、豪胆な謙信は少しもひるまず悠々と馬を進めたという。やがて北条氏の援軍が来ると聞き、謙信は囲みを解いて引き上げた。
原典より
それで謙信は、少数の従士を連れて追手の佐間口から下忍口まで駒を廻らして詳さに戰況を巡視して廻つたが、望樓に在つて此様を見た城兵は、之を打ち果そうと銃口を揃えて釣瓶打ちに打ちかけたものである。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。