谷山に隠れて主家を継いだ弟子たち
どんな伝承か
山口氏が拠ったこの山城は、たびたび落城の記録を残している。天正十八年、豊臣秀吉の関東征伐のとき、城主は豊後入道小太郎と呼ばれていたと『新編武蔵風土記稿』にあり、この人物も山口氏の後統であった。同書は、小田原陣のときにリウガイの城が攻め落とされたと記す。そのとき家臣の一人は、村内の別所山の裏、西方十里ほどの山へ豊後入道の弟子七人を連れて隠れ住み、耕作をしながらひそかに主家の血筋を守ったという。その隠れた場所が谷山と呼ぶ山であったと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。