耳面刀自姫を葬った内裏神社
どんな伝承か
壬申の乱に敗れた弘文天皇の妃で藤原鎌足の娘という耳面刀自姫は、常陸へ逃れようと船を出したが九十九里浜沖で急病になり、匝瑳郡野栄町の内裏塚海岸に上陸した。旭市泉川を経て同市大塚原の豪族の家に身を寄せ手当てを受けたが、ついに亡くなった。姫を葬った地に建てられたのが内裏神社で、三十三年に一度、姫一行がたどった道をゆく神幸祭(お浜降り)が今も大きな祭礼として行われている。
原典より
壬申の乱に敗れた弘文天皇が上総に逃れたという伝説は、小櫃(君津市)を中心に展開されているが、九十九里沿岸にも伝承がある。—— 房総の伝説(平野馨) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の伝説(平野馨)
『房総の伝説』は、平野馨が安房・上総・下総の旧三国、ほぼ今の千葉県に伝わる伝説を選んで編んだ資料集である。ホトトギスやワラビの由来、片葉の芦や頼朝の箸の杉、弘法の井戸、将門や八幡太郎の話、坂戸神社の人身御供、証誠寺の狸など、動植物・石・池・地名・家・祭りにまつわる伝説を市町村名を添えて記す。はしがきに示す自然伝説・歴史伝説・信仰伝説の三部に分け、解説や論評を加えずに書き連ね、似た話のある土地も併せて挙げる。