妙見かくしで拾われた妙見の尊像
どんな伝承か
富津市の青堀駅あたりは、明治の末までスギの大木が茂り、細い道が通じていた。富津農協青堀支所の付近を妙見かくしと呼んだという。土地の昔話では、大堀にはまだ人家がなく、太右衛門と市右衛門の二軒きりであった。ある日、太右衛門が妙見かくしへ草刈りに出ると、草むらで何かがぴかぴかと光っている。近寄って見れば妙見の尊像であった。市右衛門と相談し、ありがたい妙見様だから高い所に祀ろうということになり、君津市人見に妙見様が建てられたと伝わる。
原典より
富津市の青堀駅周辺は、明治末期には大きなスギが茂り、細い道が通っていた。—— 房総の年輪 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
房総の年輪
『房総の年輪』は、房総各地の伝説・昔話・信仰の伝承地を一項ずつ取り上げた短い文章を集めたもので、著者と刊行の事情は原典に記されていない。香取の要石や真間の手古奈堂、松虫姫、源頼朝や義経の伝説地、沈鐘伝説、椀貸伝説、河童や天狗、海の怪異「もうれん」などを、『譚海』『上総国誌稿』や市町村の民話集を引きながら所在地とともに記す。各項は読み切りの小文で、昭和四十五年と四十七年の年頭に書かれた項を含む。