姥ヶ池
どんな伝承か
永禄六年四月、太田道灌が川越城を築くにあたり、神に祈りを捧げ、翌朝一番にその地を訪れた者を人身御供として献げるという約束を立てた。ところが翌朝真っ先に訪れたのは、道灌自身の娘、世橋姫であった。姫は自ら犠牲となることを願い出て、田面の沢のほとりを流れる小川に身を投げたという。この池はのちに乳母ヶ池と呼ばれ、つい最近まで残っていた。姫が身を投げた遊女川、世橋川には片葉の芦が生えるようになり、今もそこを通るときには「よねさん」と呼びかけて小石を投げ入れる習わしがあるという。
原典より
永祿六年四月、太田道灌が川越城築城のとき神に祈り、朝一番先に訪れた者を献げる約束をした。—— 日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説名彙(柳田国男・日本放送協会・昭和25年刊)
柳田国男・日本放送協会編『日本伝説名彙』を全650話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。