将軍吉宗が植えさせた桃園
どんな伝承か
国鉄中野駅前の西側の台地から、隣接する杉並区高円寺にかけての一帯は、享保のころ八代将軍徳川吉宗が桃を植えさせた桃園の跡である。新編武蔵風土記稿によれば、享保二十年に土岐美濃守が命を受けて御立場を築き、畑の畦へ紅桃五十株を植え、翌年には白桃を加え、元文三年には六万七千余坪に桃を広げたという。花の盛りには貴賤が群れ集まって村人の農業の妨げになったため、十一軒の茶店を出すことが許された。安永六年に鶉の御猟場となって雑木が伐り払われると桃樹は次第に減り、今は桃園町の名と桃園橋に名残をとどめるだけである。
原典より
第四 宗良親王陣営址第五 東福寺の家塾と遷喬小学校・第六 新井薬師…………………………第七 江戸築城と江古田が原沼袋古戦場…第八 蓮華寺と時の鐘…………………………第九 江古田の獅子舞と東福寺……第十 和田山哲学堂と片山…—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。