浅茅が原の鏡の池と梅若丸の母
どんな伝承か
太田道灌が豊島彦五郎重貞を討った浅茅が原は、台東区石浜町のあたり、旧竜泉寺門前の一帯にあたるという。廻国雑記に寂しい夕暮れの野として詠まれたとおりの土地で、ここには鏡の池と呼ばれる池があった。人買いにさらわれた梅若丸が世を去ったことを知った母は狂気し、この池に身を投げたと語り伝えられている。池のほとりには妙亀尼のけさ掛の松があり、そのほかにも数々の伝説が残されたと著者は記す。
原典より
第八 蓮華寺と時の鐘…………………………第九 江古田の獅子舞と東福寺……第十 和田山哲学堂と片山橋……………第十一 内藤新宿の昔語り・・・・・・・・...第十二 高田馬場と山吹の里の旧蹟・第十三 目黒の筍と山路家・・・・…—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。