宗良親王が宿陣した阿佐谷の寺
どんな伝承か
宝仙寺はもともと今の場所から二十町ほど西の阿佐谷にあり、足利の時代に現在地へ移されたという。大永のころ兵火に遭って仏殿も僧坊も焼け、古い記録が失われたため開創の年代は分からない。この阿佐谷にあったころの宝仙寺が、後醍醐天皇の第三皇子で信濃宮と呼ばれた宗良親王の陣営の跡と伝えられている。正平七年、新田義興・義宗らが足利尊氏と武蔵国の金井ヶ原や小手差ヶ原で戦ったとき、親王も加わって歌を詠み士気を鼓舞したという。兵家茶話にも、新田方が親王を奉じて武蔵野で戦った際、この寺に宿陣したと記されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。