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嫁入りが避けた不浄の橋の修祓

所在地東京都中野区(淀橋)
年代明治〜大正二年
登場浅田政吉、里人
出典城西風土記と昔語り

どんな伝承か

淀橋で斬られた下男たちの恨みは晴らされたものの、迷える亡魂は消えず、なお橋のたもとをさまよっているといわれた。そのため里の人々は淀橋を不浄の橋として忌み嫌い、嫁入りや婿入りの行列は必ず迂回して、上流か下流の橋を渡る習わしになっていた。これでは不便だとして、中野本町通りの浅田政吉が主催となり、大正二年十一月二十一日に荘厳な修祓の式を行い、あわせて近親の婚儀を機にこの橋を渡り通した。当日は近郷から見物人が押し寄せて橋のあたりは人で埋まり、著者もその一人だったという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))

『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。

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