新田家守本尊薬師の飛翔と金山落城
どんな伝承か
新井薬師梅照院の縁起によると、本尊の薬師如来は一寸八分の黄金仏で、もとは上野国新田郡を治め、太田の金山に城を構えた新田家の守り仏だった。足利尊氏との戦いに追われた新田義興は信心を怠り、本尊を宝庫にしまい込んだままにしていた。ある夕暮れ、宝庫の屋根が光り輝き、光の玉がどこかへ飛び去った。家臣が厨子を確かめると尊像は消えており、八方探しても見つからなかった。その夜の子の刻ごろ、敵の計略によって金山城は焼け落ちたという。のちに義興は矢口の渡しで謀殺され、一族は散り散りになったと伝わる。
原典より
義興大いに驚愕し直ちに家臣に命じ八方詮索させたが遂に見出すことが出来なかったが、その夜子刻(十二時)頃、敵の計略で居城なる金山城が焼失してしまったのである。—— 城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。