老梅の空洞に現れた薬師如来
どんな伝承か
新田家が滅びたのち、家臣の窪寺藤左衛門らは新井の庄に住みついた。永禄年間、相州の沙門行春と、元は北条家の家臣だった梅原将監がこの地へ移り、草庵を結んで日夜真言の行法を勤めていた。ある夜、庭先の老梅の梢から光が輝きわたるのを見て不思議に思い、翌朝その木を探らせたところ、幹の空洞の中から薬師如来の尊像が現れた。窪寺藤左衛門や窪寺七兵衛、山口庄左衛門らはこれを見て、新田家伝来の守り本尊であることを知り、その奇縁に感じ入って一宇を建てた。梅の木から光が差したことにちなみ、梅照院と名づけたと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。