江古田が原沼袋の合戦と平右衛門の最期
どんな伝承か
文明九年四月十四日の未明から、太田道灌と豊島兄弟は江古田が原沼袋で一大合戦に及んだ。豊島平右衛門は洗革の鎧に白星の甲を着け、三尺ばかりの陣太刀を真甲にさしかざして、見る間に十七人を打ち落とし、千葉自胤の兵は皆人を楯にとって陣中が白けたという。怒った自胤の郎党円城寺藤三直純が馬前に駆け出して矢を放つと、矢は平右衛門の胸板を射抜き、彼は馬から落ちて首を掻き切られた。大将を討たれた豊島勢は敗走し、討ち取られた者は百五十人に及んだ。翌十五日、道灌は石神井の城を攻め落とし、豊島一族は滅んだ。この古戦場は現在の中野区江古田三丁目、区立第七中学校附近を中心とする。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))
『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。