一ノ荘の範囲を即答した儒者
どんな伝承か
白子町はかつて上総国一ノ荘(一ノ宮荘、一ノ庄、市ノ庄とも書く)に属していたが、その区域を明らかにすることは難しかったという。天保年間、海岸を巡視していた堀田侯が一宮玉前神社の神官や老臣たちに一ノ荘の範囲を尋ねたが、誰も答えられず困り果てた。そこへ関北高根の儒者酒井履信が進み出て、「南は夷隅川から北は山辺郡の境まで、西は茂原村より東の地域を一ノ荘という。その証拠に、この一帯の村々では毎年八月十三日を同じ祭日としている」と即答し、堀田侯はたいへん満足したと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
白子町史
『白子町史』は、千葉県白子町の歴史を記した町史である。一ノ荘、五井、驚村、南白亀、観音堂などの地名の由来、源頼朝の駒止橋や御殿山の伝説、宝暦の新川開鑿、驚獅子の雨乞い、田辺万吾や皆川検校の事績、お塚山の伝承を、由来記や家の文書、村誌を引いて記す。地名と伝説を十三の項に分けて述べ、続く第五節には常福寺のらかんまきや白子神社のなぎなどの天然記念物を図とともに載せる。