伊勢に寄進された大庭の御厨
どんな伝承か
大化の改新で土地と民はすべて国のものとされ、人々には田が貸し与えられたが、これでは開墾が進まず、養老七年の三世一身の法、天平十五年の墾田永代私有令によって私有地が認められていく。こうして生まれた荘園は平安末期には全盛となり、公の土地は国土のごくわずかしか残らなかったといわれる。神奈川でも、藤沢の鵠沼一帯を押さえた大庭氏は、開墾した田を名目上伊勢神宮に寄進し、税を逃れて実質的な私有地とした。伊勢の領地であることから御厨と呼ばれ、地名にもなった。三浦氏や曽我氏、海老名氏、梶原氏など相模の武士団も地名に名を残し、やがて頼朝の挙兵を支える力となった。
原典より
伊勢の領地ということから「御厨」と呼ばれ、大庭とともに地名となって今日まで残っている。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。