全村が三浦姓を名乗る滝越の落人村
どんな伝承か
瀧越は十七戸、険しい峠を二つ越え、三里余りでようやく上島へ出るという山里である。太古の川底であった平地を十町余り耕している。世間では三浦とも言うが、三浦とはこの奥山の総称であり、全村みな三浦氏である。相模の三浦の残党というが証はない。ともかくも武士の落人であろう。どの家が一番古いということのほか、一つの記録も口碑もない。女はまるきり世間を知らない。美濃から来てこの村に永住する教員の夫婦があると聞く。寺も医者もない。
原典より
瀧越は十七戶、嶮しき峠を二つ越え、三里餘にて漸く上島へ出ると云ふ山里なり。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。