禅海にだけ見えた観音たちの歌舞
どんな伝承か
糸崎寺の仏の舞の起こりは書物によって食い違う。禅海が霊像を安置してから、端正な観音菩薩たちが大勢集まって歌い舞い踊ったが、それを見たのは禅海ただ一人で、ほかの者は知らなかったという。旧記の由来では、観音の歌舞はたびたびに及んだが、禅師にだけ姿が見え、凡人には音しか聞こえなかったと説く。それ以来、三年に一度ずつ仏の舞が執り行われている。
原典より
禅海が霊像を安置してから、荘厳端正の観音薩埵多く参会し歌舞踊躍し、禅海だけが独り見てゐて、余人は知らない。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。