心棒の折れた車を祀る車地蔵
どんな伝承か
用沢の車地蔵には二つの由来が伝わる。一つは、鎌倉の建長寺に使う四本柱の材を車で運んでここを通ったとき、車の心棒が折れ、一人が下敷きになって死んだという話である。建長寺の門前で鳶職をしていた死者の兄と弟の二人がこの地に移り住み、車の一部を祀って農業のかたわら霊を慰めたという。もう一つは、建久三年の源頼朝の巻狩で、陣屋の材を運ぶ道が狭く悪いので地蔵を祀って祈ったところ霊験があり、その礼に堂を設けたという話である。本尊は六角の石のろくろで各面に地蔵が刻まれ、交通安全の地蔵としても知られる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。