為冬の自刃と萩を使わぬ所領
どんな伝承か
竹之下は建武二年の竹之下合戦の地と伝えられ、足柄小学校の東の「戦返り」「有闘坂」という地名は激戦の名残だという。尊良親王に従った二条中将藤原為冬は、敗れると見るや親王を間道から逃がし、自ら軍を率いた。所領の字松原で百姓藤太夫の家に寄って食を乞うと、老婆は炊けるまでの間にと米の搗き粉を出し、やがて炊けた赤飯を庭の萩を折った箸で振る舞った。為冬は従者七十五人とともに裏山で自刃し、村人が葬って祀ったのが所領の白旗神社だという。今も赤飯に萩の箸を添えて供え、所領の人々は萩を箸にも堆肥にも使わない。為冬の墓という石塔は落合にある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。