竹の皮に火を放たれ落ちた青野城
どんな伝承か
三田市上青野の青野小学校裏の山頂に七、八アールほどの平地があり、旧青野城趾と伝える。門野氏の郷土物語によれば、永禄七年二月四日、明智光秀の武将で下田中立石城主の山崎左馬之介が井ノ草の中村氏を滅ぼした勢いに乗って押し寄せた。城兵はかねて用意の竹の皮を沢山敷き詰めたので敵はこれに滑って苦戦したが、一計を案じて竹の皮に火をかけ、それに乗じて攻めたてたため、生き残りの主従二十九人は城に火をかけ、申の刻に自刃して果てたという。城主越中政清の夫人秦野の方は斉藤藤四郎に守られて広野まで逃れ、飢えと寒さと疲労から路傍に倒れたが神助によって助かり、剃髪して尼となり西国へ逃れたと伝える。
原典より
越中夫人の秦野の方は斉藤藤四郎に守られて広野まで逃れ、飢と寒さ疲労から路傍に倒れたが神助によって助かり、剃髪して尼となって西国へ逃れた。—— 兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告)
『兵庫県民俗調査報告8――伝説』は、兵庫県の民俗調査報告の一冊のうち、第10章「口頭伝承」を収めたものである。三田市の乙原・小野・尼寺・青野・末の各地区を対象に、集落の発祥や神社、廃寺、城跡にまつわる伝説、天狗に導かれたという松住大権現、狐狸の怪、狼の話などを、聞き書きと『門野氏郷土物語』などの郷土の記録から記す。伝説のあとに昔話とわらべ歌を続け、わらべ歌は地元の中学校生徒会の協力で集めた尻とり歌や羽根つき歌を載せる。