千葉本家を継げなかった馬加康胤が原胤房と結んで寺崎城を攻め胤…
どんな伝承か
馬加康胤は千葉本家の胤直父子を多古に攻め滅ぼし、寺崎の城に入って千葉介と称し、門前市をなすほど栄えた。しかし主君の家を亡ぼして栄華を極めれば必ず天罰を蒙るであろうと世の人々は憎み、康胤は酒に酔い歌舞にくれ、老人の諫めも十に一つと聞き入れず、臼井城主原氏との誼も薄らいでいった。時を得たりと岩橋の刑部少輔輔胤が諸臣へ廻文を回し、康正二年九月晦日の夜、一八〇〇余騎で寺崎城へなだれを打って攻め寄せた。城中の士卒はかえって主君討ちを悔い、門を開いて敵を引き入れる。康胤は上総へ落ちたが追いつかれ、村田川を前に奮戦して子息胤持は討たれ、自らも咽喉を貫いて自刃したと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
佐倉市史 民俗編――伝説・怪異(佐倉市(編)・佐倉市史・自治体史(民俗))
『佐倉市史 民俗編』第八章口承文芸所収の伝説・怪異。千葉県佐倉市に伝わる口承を採録する。