横沢家の庭石になった小判石
どんな伝承か
奥州の豪族葛西家が天正年間に滅びると、支族大原飛騨守の家来だった横沢但馬は、弟の徳右衛門・惣兵衛とともに世田米へ逃れてきた。但馬は孫平と名を改めて住みつき、兄弟で開墾や植林に励んで村の有力者となり、横沢の家は十七代続く土地の草分けになったという。孫平は屋敷前の河原で、大判や小判のような斑点が浮かび、黄金を抱いたように見える石を拾って庭石にした。人々はこれを小判石と呼び、遠くから見に来る者も多く、家運が開ける兆しだとうらやんだと伝わる。石は海百合の化石とみられ、横沢家の屋敷跡は今は畑になっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
住田町史 第6巻 (民俗編)(住田町史)
『住田町史 第6巻(民俗編)』は、岩手県気仙郡住田町の町史の民俗編から、伝説の節を抜き出したものである。地名・石や岩や水・長者や旧家・社寺や祠堂の四つに分けて、山姥のような老婆と和尚の大股・小股、石にされた姥、河童の頼んだ手紙、櫃割長者の大蛇、座敷わらしなどの言い伝えを収める。世田米・上有住・下有住の集落や山に結びついた話が中心である。