依田信蕃の姫が子を産んだ産の窟
どんな伝承か
岩下の南、小倉城跡のさらに南側に岩窟が並ぶ。望月一帯を治めた依田信蕃は武田氏に仕えていたが、天正十年に武田氏が織田氏に滅ぼされると遠州へ逃れた。同じ年に信長が倒れるとすぐ望月へ戻って領地を取り戻したが、その直後、相模の北条氏直が六万の軍勢で攻め寄せた。信蕃はよく防いで退かせ、この戦いの間、妻子や兵を小倉城周辺の岩窟にかくまったという。産の窟の名は、信蕃の姫がここで子を産んだことによると伝わり、茨小屋窟にも同じ話が残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
望月町誌 第2巻 (民俗編)(望月町誌)
『望月町誌 第2巻(民俗編)』の伝説の節を抜き出したものである。旧望月町(いまの佐久市)の集落ごとに、植物・石・清水と池・岩穴と塚・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・稲荷・動物・巨人・化け物・禁忌・カッパ・地名の伝えを並べる。望月の駒と生駒姫、梅円坊の化け物退治、彦狭島王の王塚、長者原の長者、ゴマを作らない村々の言い伝えなどが見える。