恋愛の幽霊
どんな伝承か
著者の門下に金田鹿造という医者があり、長谷川泰の済世学舎を出て横浜の戸部町で開業していた。その妹の美津子は評判の美人で、才気があり貞淑な娘であった。金田の知人後藤弘次の弟秀一が日曜ごとに遊びに来るうち、美津子と秀一は相思の仲となったが、双方はにかみやで思いを打ち明けられずにいた。美津子は十九歳の春、風邪から肺炎を起こして危篤となる。乳母が察して秀一を招き、四月十三日の午後一時、秀一が病室に入って手を握ると、美津子はにこりとして息絶えた。恋愛の一念が幽霊を生む例として語られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年))
『修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体』は、修羅挑天が著し、昭和六年に中央出版社から発行された仏教の立場からの幽霊論である。霊魂観念の変遷、四悪趣と幽霊、幽霊の定義と分類を説き、責任感の強い幽霊・嫉妬の幽霊・復讐する幽霊などを、新聞記事や著者が自ら調べた大正・昭和の実例で示す。緒説と十段からなり、後半では倶舎論・唯識論・起信論・法華経・真言密教・浄土門の教えに照らして幽霊を論じている。