狭野山の牧場と御牧山の子守歌
どんな伝承か
柳河藩主の立花鑑虎は元和の末年、山門郡山川村の狭野山を選んで牧場を開き、軍馬や農馬を育てる所とした。家臣を仙台へ送って様子を調べさせ、種馬を連れ帰らせたという。鑑虎の実母法雲院は仙台藩主伊達忠宗の娘で、その縁があって仙台から馬を得られたのである。柳河のあたりでは狭野山を御牧山と呼び、赤・黒・白の馬あわせて三十頭を三本松の木の下につなぎ、栗殻や稗殻を食べさせたと歌う子守歌が生まれた。大きな奥州馬を初めて見た人々の珍しさが歌になったのだろうと著者は見ている。三本松は同じ郡の上宮永にあるという。
原典より
柳河地方では狭野山を御牧山こ称し次のやうな子守歌を謡つた。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。