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五十日で三百七十五万人の宝永抜参り

所在地京都府京都市
年代幕末
登場民衆、記録者
出典阿波えゝぢやないか

どんな伝承か

二度目の御蔭参り・抜参りは、慶安から五十五年後の宝永二年閏四月に始まった。まず京や大坂の若者たちの間で流行し、やがて畿内の国々へ広がって、たいそうな騒ぎになったという。『玉勝間』に載る記録によれば、閏四月上旬の参宮者は一日二、三千人ほどだったが、十三日から十六日には十万人を超え、その後大坂に移ってさらに増え、五月十六日には一日二十二、三万人に達した。閏四月九日から五月二十九日までの五十日間で、およそ三百七十五万人が伊勢へ向かった。各地で神異奇瑞が起こり、宿や食べ物の施しが盛んで、参宮する男女の醜態が見世物になるほどの混雑だった。

原典より

第二回の御蔭參り拔參りは、慶安三年から五十五年の後の寶永二年閏四月に始つた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))

『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。

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