中山を連なって通った笹に瓢箪の一隊
どんな伝承か
「ええぢゃないか」の踊り手のなかには、瓢箪を吊して携えた人々があった。製作者や所持者が何らかの意味を込めたつもりであったのか、単なる思いつきに過ぎなかったのかは判明しない。「鷲敷町史」には「中山なぞでは笹に瓢箪を吊した一隊が引き続いた」と記されている。中山は鷲敷町の東部に位するから、その一隊はあるいは新野町・橘町・桑野村辺りの人々であったかもしれないと著者は述べている。
原典より
次に瓢箪を吊して携へた人々があるやうである。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。