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一日一万人近くが押し寄せた箸蔵寺

所在地徳島県三好市池田町州津(箸蔵寺)
年代幕末
登場島田秋助、民衆、記録者、目撃者
出典阿波えゝぢやないか

どんな伝承か

箸蔵寺は讃岐の金比羅宮の奥の院とも別社とも言われたため、とくに参拝者が多かったらしい。麓にいた島田秋助によると、はじめは数人ずつの組が日に三、四組来る程度だったが、しだいに増えて師走半ばには一日千人から千二百人、多い日は二、三千人となり、大晦日には讃岐への行き帰りの人で一万人近くが参ったという。山の桜の馬場と上の広場には米俵が山と積まれ、大釜で粥や酒、煮しめを用意して参詣者に配り、寄進者と品を書いた札が何本も立てられた。村上義平の祖父は、裸の者三百余人、千早姿五百余人、女装した男八百余人といった参詣者の身なりを帳面に書き留めていたそうだ。

原典より

金比羅と名のつく神社へは、人々が 競つて參詣したといふことは前述のとほりであるが、箸蔵寺はもと讃岐の金比羅宮の奥の院とか、別社であるとかいはれる關係上、殊に參拜者が多かったのであらうと思はれる。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))

『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。

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