金比羅参りの船どうしの海上大喧嘩
どんな伝承か
橘沖を漁船が一艘進んでいた。乗り組んでいるのは漁師だが漁具らしいものはなく、筋骨たくましい赤銅色の裸身に鉢巻をした者や御幣を持った者が船一杯に詰まっていた。皆、徳島勢見の金比羅宮へ参詣する連中だった。島陰から現れた船に声をかけて近づくと、それは先年漁場のことで激しく争った敵の村の船だった。舷と舷が擦れ合ったのをきっかけに、竿や櫂や板子を手に双方入り乱れて渡り合った。その日の夕方、二艘の船は舷を血潮に染めて橘港近くの浜へ漂着したが、死人は一人もなく、漁師たちは陸で踊っていたという。
原典より
乗組んでゐる者は漁師であつたが、漁具らしいものはなかった。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。