福来友吉の生家と勝久寺の過去帳
どんな伝承か
福来友吉は明治二年十一月三日、福来甚吉の次男として生まれた。生家は御嶽や乗鞍、日本アルプスの峰々を遠く望む飛騨高山の下向町、いまの昭楽座のあたりにあった。白い蔵を構えて呉服屋を営み、貧しい人に金を融通することもあって、富田家と並ぶ界隈の財産家だったが、家はいま残っていない。菩提寺は高山の大新町にある勝久寺で、その過去帳には享和や天保、明治に亡くなった福来家の人々が記されている。両親はともに信心深い仏教徒だった。友吉は仙台の町田家の娘多津を妻に迎えたが、一人息子の仁は幼くして亡くなり、町田家の昇三を跡継ぎに迎えた。
原典より
明治二年十一月三日、福来友吉氏は福来甚吉の次男として生れました。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。