一喝で消えた牛鬼の亡霊と牛鬼塚
どんな伝承か
牟岐町の平野には、牛鬼を仕留めた平四郎の子孫がいまも住む。川添家十一代目の川添延子によれば、平四郎は七代目の当主で、明治二十五年に七十歳あまりで没したと過去帳にも記されている。牟岐の牛鬼退治は幕末に近い出来事だったことになる。退治に使った銃は延子の父梅一の代まで伝わったが、戦時中の金属供出で失われ、木製の火薬入れらしい部分だけが残っていた。屋敷の裏手の林には牛鬼塚があり、白木の小さな祠が据えられている。銃があったころは、代々の当主が塚の前で発砲する習わしだったという。退治の帰り道、行く手に火の玉が舞い、亡霊となった牛鬼が現れたが、平四郎が二度死ぬつもりかと一喝すると、たちまち消え失せたとも伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。