稲葉宿の降札と粗末にした者の怪異
どんな伝承か
美濃街道の稲葉宿では、九月十四日に中町へお札が降り、続いて西町・東町・小沢などにも次々と降った。降った日から七日間祭りが営まれ、御馬塔や俄も出て、札はやがて周りの村々にも降るようになった。山本屋又兵衛の「大福帳記録」は、人々がこれを不思議がったこと、札を粗末に扱った者にはさまざまな怪しいことが起きたので皆が大切に祀ったことを、前代未聞の出来事として書き留めている。同じ稲沢の下津村の村瀬周蔵は近くの五十六か村を歩いて降札を記録し、八月二十七日から十二月十五日までに約百種、六百五十四枚が降ったと数えた。いちばん多かったのは秋葉大権現の札だった。
原典より
最も右御札粗末に致し候者などは色々ふしぎあらわれ、諸人大切に御祭り申し候。—— 愛知民衆運動の歴史 新版 より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知民衆運動の歴史 新版
『愛知民衆運動の歴史 新版』は、愛知の民衆運動の歩みをたどる歴史書の新版である。慶応三年の「ええじゃないか」を扱う節で、三河国渥美郡牟呂村・羽田村に始まる伊勢神宮などのお札降りが、吉田宿、名古屋城下、稲沢・尾西・小牧・江南などへ広がった経過を、神官の留記や村の日記、『丁卯雑拾録』『感興漫筆』などの記録から跡づける。名古屋で降った札の種類と枚数の順位表を掲げ、降札を仕掛けた者をめぐる当時の見方と、騒ぎを担った民衆の姿を論じる。