幽霊の正体だった根株と築かれた泥塚
どんな伝承か
林田が幽霊の正体を若者たちに示すため拳銃を撃って全員を呼び集め、燐火の原因や心理の説明をすると一同は呆れて大笑いし、権六を死なせた元凶として根株や岩角を蹴った。若者たちはその根株を掘り取って堂ヶ島へ持ち帰り、以後幽霊は現れなくなった。退治の記念として二重の丸石垣で囲んだ泥塚が坂の途中に築かれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊を退治(林田龜太郎(述)/曉汀(筆記)・新公論 1915年1月号・1915年(大正4年))
『幽霊を退治』は、衆議院書記官長の林田龜太郎が語り、曉汀が筆記した雑誌記事「幽霊を退治した實驗」である。堂ヶ島の宿で保養中、幽霊騒ぎで客が去ったと聞いた語り手が、宿の者の目撃談を聞き取ったうえで短刀や短銃を携えて夜の崖道へ出向き、青い怪火が古株の燐火、幽霊の姿が草と苔の生えた岩角であったと突きとめるまでを一人称で述べる。ファイルの前半には、新橋の芸者の不貞を尾行で調べた別の探偵実話も収める。