矢ヶ崎村と上桑原村に始まる諏訪の降札
どんな伝承か
諏訪地方でお札降りが最初に確かめられるのは、茅野の矢ヶ崎村や諏訪の上桑原村などで十一月二十七、八日に札が降った例だとされる。ところが同じ諏訪の角間町では、それより早い十一月一日に伊勢皇太神宮などの札が降ったとも記されている。高島藩は十一月朔日の日付で禁令を出したが、諏訪地方で札が降ったのはむしろそれ以後の十一月に多かったという。
原典より
諏訪地方では、矢ヶ崎村(茅野市)や上桑原村(諏訪市)などで十一月二十七、八日に降ったのが初出で、角間町(同)では十一月一日に伊勢皇太神宮などの札が降った。—— 松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史)
『松本市史 第2巻 歴史編2』は、信濃の松本市の市史のうち歴史を扱う巻で、ここにはその節「三 お札降り」だけが収められている。慶応三年七月ころから翌年にかけて、天から神仏の札が降ったとして酒食して騒いだ「お札降り」「ええじゃないか」が、伊那谷と中山道の二筋を通って信濃に広まったさまを、飯田・高遠・諏訪・木曽などの記録から追う。後半は松本城下と周辺村の降札と松本藩の禁令を述べ、上今井村に降った札の種類と枚数を表に示す。