江の島の弁天の帰りに拾った打ち鍼
どんな伝承か
杉山検校がまだ無名だったころ、音曲を習っても不器用でものにならず、ほかに盲人として身を立てる道も見つからなかった。深く嘆いて二十一日の断食をし、一生の業を授けてほしいと江の島の弁天の前に籠ったが、何のしるしもない。いっそ死のうと海へ身を投げると、打ち寄せる波にはるかな汀へ打ち上げられた。それで命を全うしようと心を定め、弁天からの帰り道、足に触れる物があったので拾うと、それは打ち鍼だった。この鍼の業で名を成そうと励むうち、自然とその妙を得て、杉山流鍼治の祖となったという。
原典より
「然らば此鍼治の業をなして名をなさん」と、志しを尽しけるが、自然と其妙を得て、今杉山流の鍼治と一流の祖と成りしとや。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。