茶々丸の最期と鶏・紅花の禁忌
どんな伝承か
伊豆国の下田から北へ二里半ほどの堀の内村は、堀越御所の跡だといわれる。御所の跡はもう田畑になっているが、村のかたわらの法本寺では、今も日取りを決めて御所の追善供養を営んでおり、法会を怠ると疫病がはやると土地の人は言い習わしている。堀越御所は足利将軍家の一族の政知に始まるといい、その流れの茶々丸が北条早雲に追われて村の紅花畑に隠れたとき、畑から鶏が飛び出したのを見た追手が怪しんで探し出し、討ち取ったという。それで今もこの村では鶏を飼わず、紅花も作らないと伝わる。
原典より
法会怠りぬれば疫癘等流行なすと、土俗申習しけるよし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。