子を鳶に殺され首をくくった芝居の母猿
どんな伝承か
天明五年ごろ、江戸の堺町で猿を大勢集めて役者の芸をさせる見世物があり、流行りの役者の身振りをよくまねて大評判だった。その中に子を産んだ母猿がいて、芸に出る時も子を気づかい、可愛がる様子は哀れなほどだった。子猿が育つとひどく虱がたかったので、猿回しが湯を浴びせて虱を取り、濡れた毛を乾かそうと二階の物干しにつないでおいたところ、鳶に見つかって嘴で突き殺されてしまった。猿回しが母猿を呼んで詫び慰めると、母猿は涙に伏しているようだったが、猿回しが目を離したすきに、芝居道具の紐を棟に掛けて首をくくって死んだという。
原典より
天明五年の頃堺町にて猿を多く集め、右猿に或は立役或は女形の芸を致させ見物夥しき事あり。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。