日蓮の雨乞いとともに断食した大覚禅師
どんな伝承か
日蓮がまだ修行を始めたばかりのころ、建長寺の開山大覚禅師を徳の高い先達として慕っていた。あるとき日蓮に雨乞いの命が下り、自分の行力で雨が降るだろうかと禅師に問うと、身を捨てて一心に行えば空しいはずがないと答えた。日蓮は覚悟を決めて寺に戻り、七日の断食をして一室にこもり、雨が得られなければその場で死ぬと念じて祈ると、果たして雨が降った。礼を言いに禅院を訪ねると、禅師もまだ一室にこもって七日の断食をしていた。わけを聞くと、命は受けていないが百姓の苦しみを救うのは誰の務めでもあり、万一に備えて自分も祈ったのだと答え、日蓮は生涯その徳をたたえたという。
原典より
日蓮も始て覚悟して其寺に戻り、一七日断食して一室に閉籠り、命をかけて祈りける。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。