夢告で庵から譲られた大神宮の神像
どんな伝承か
武州府中の西念寺の住職は、もとは本所羅漢寺の隠居で、羅漢寺を退いたのち、西念寺から十町余り離れた庵室に二、三年住んでいた。文化五年の六、七月ごろ、住職はその庵の持仏堂にある大神宮の神像を西念寺へ移して安置せよという夢を見たが、取り合わずにいると同じ夢が続いた。神のお告げかもしれないと庵室を訪ねると、住人は待っていたかのように迎え入れた。神像の有無を問うと、あなたが訪ねて来るのを待っていた、来たら像を譲れというお告げが続いていたと答えて神像を差し出したので、住職は西念寺へ持ち帰って恭しく安置したという。
原典より
同所国分寺の末院に有けるや、当住職は本所羅漢寺の隠居にて、西念寺へ請招せしや当時住職せしよし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。