押立村の旅宿に現れた汚れた座頭
どんな伝承か
安永九年の冬から翌春まで、関東六か国の川普請御用で出役した一行のうち、花田仁兵衛は五十余歳で数年土功に慣れ、あくまで不敵な性質であった。安永十年の春、玉川通りを回村して押立村に至り、本役は村長の平藤の家に旅宿し、ほかは最寄りの民家に宿を取った。花田の泊まった離れは本家から廊下続きで家僕の寝所からも隔たり、戸垣もまばらで裏に竹藪が茂る用心のよくない所であった。丑満つ頃、天井の上で大石でも落としたような音に目覚め、枕を上げて見ると、汚らしい座頭が汚れた単衣を着て手をついている。脇差を取ろうと起き上がる間に姿は消えた。再び臥すとまた座頭が現れ、手を震わせて覆いかかったので脇差を取り上げると、また消え失せたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・昭和(戦中))
生物学者・小泉丹『科学的教養』(戦中刊)。国民の科学性とは科学知識の普及ではなく科学的態度であるとし、科学的・非科学的の境界を吟味したうえで、怪異談を科学的に検討する。