人命を救ひし物語の事
どんな伝承か
評定所で著者の同役だった石黒平次太は尾張の生まれで、父の小右衛門は尾張藩士だった。小右衛門は若いころ任侠肌の豪傑で、川漁を好んだ。ある夜更け、川辺で死のうとしている若い男女を見つけて引き止め、ひそかに自宅へ連れ帰って訳を聞くと、二人は名古屋の町人の隣同士の子で、言い交わした仲なのに親の許しが得られず、心中を約したのだという。小右衛門は男の家を訪ね、両家の親を呼び集めて、子は死んだと思って自分に預けるなら手立てをつけようと持ちかけた。親たちが承知すると事情を明かし、自宅で婚礼の盃を交わさせて送り返した。夫婦は栄え、今も石黒家に親同然に出入りしているという。
原典より
或日川漁に出て夜更に川辺に出しに、年若き男女死を約せしと見えて、今はこうと思はれければ、早速立寄りて引留、「何故に死せるや」と尋ければ、—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。