万病散から生まれた印牧家の十千散
どんな伝承か
江戸の浜町に、代々小児科医として名高い印牧玄順の家があった。先祖は戦国の世に敵方だった者の子孫で、主家の没落後は召し抱える者もなく流浪し、ある医師のもとに身を寄せた。その医師は家伝の万病散という薬を売っており、効き目が著しく戦場でも求められたので、先祖はこの医師に仕えて製法を伝えられた。のちに独立した際、師家と同じ薬名を名乗るのを遠慮し、十を千合わせれば万になるという意味で十千散と名付けたという。この薬は今もその家から出ており、著者の子孫も用いて効き目があったと記されている。
原典より
東都浜町に、小児科の医をなして数代世に鳴る印牧玄順といへるあり。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。