大鼠となって経をかじる頼豪
どんな伝承か
頼豪の餓死の後、圓融坊大僧都良真が再び皇子を祈り出し、中宮賢子は承暦二年の三月より身ごもった。生まれた皇子は応徳元年十一月廿六日に八歳で東宮に立ち、十二月九日に即位し、嘉承二年七月十九日に御年二十九歳で崩御した。堀河院である。頼豪は餓死の後、生前の執着した執念でかの皇子を冥途へ連れ去ったが、怨霊はなお憤りを増し、我らに戒壇を許されなかったのは山門があるからだとして大鼠と化り、谷々坊々に充満して聖教をことごとく噛み荒らした。頼豪の所為だとあちこちで打ち殺し踏み殺したが、鼠はますます蔓延り、人力の及び難きに困じ果て、鼠の寶藏を造ってそこに祀り、ようやく取り鎮めることができた。
原典より
此上は山門の佛法を亡して怨を報ゐんとて大鼠と化り、谷々坊々に充満し聖教を悉く噛荒した—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。