無我苑へ飛び込むまでの前提
どんな伝承か
河上肇は大学に入るまで宗教的な空気とは無縁だった。山口から上京して東大に学ぶと各所で演説会が開かれており、会場を巡るうち内村鑑三の刺激で聖書を手にする。右の頬を打たれたら左も向けよという一節に無条件で共鳴し、絶対的な非利己の態度こそ人の理想だと感じた。明治三十四年の暮れ、足尾鉱毒の被災民を救う演説会では、金を持たぬ彼が外套も羽織も襟巻も脱いで差し出し、翌朝には残りの衣類まで匿名で送らせている。卒業後は経済学に打ち込もうとしたが宗教的な至上命令が心を揺らし、近角常観や山室軍平の説教、トルストイの書に救いを求めた末、伊藤証信の無我愛運動に惹かれ、学問を捨てる決意で巣鴨大日堂の無我苑へ身を投じた。
原典より
彼は大学生になるまでは、格別に宗教的雰囲気を味わうことなしにすぎた。—— 霊の世界 ― 小品集(田中千代松・心霊研究・エッセイ・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊の世界 ― 小品集(田中千代松・心霊研究・エッセイ・昭和)