赤山社で勤めた御鍬太神宮の百年祭
どんな伝承か
三河国額田郡藤川宿の明星院には、藤川宿や本宿村など東海道沿いの村々の御札降りを細かく書き留めた「降臨御祓諸牘覚帳」が伝わる。そこには慶応三年九月二十三日、別当明星院の住持の代に赤山社で百年祭を勤めたとあり、明和四年三月二十四日付の御鍬太神宮勧請の文書も写されている。赤山社は赤山大明神を祀り、真言宗の明星院が代々祭事を担った社で、維新後に関山神社と改められた。この百年祭は藤川宿の御札降りに伴う祭礼が最初の盛りを迎えた頃に営まれたもので、降札のきっかけになったものではないという。
原典より
さて御札降りに先行した御鍬百年祭の展開をあとづけてみよう。—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。