本田親徳と静岡に根づいた鎮魂帰神
どんな伝承か
近代の鎮魂帰神を復興した本田親徳は、薩摩藩の典医の子として鹿児島に生まれた。二十三歳ごろ、京都で狐憑きの十四歳の少女が巧みに和歌を詠むと聞いて調べに行ったのが霊学に入るきっかけとなり、以後四十年余り憑霊現象を実地に研究して審神の学を打ち立てたという。明治十七年、六十二歳で静岡に現れ、同郷の静岡県知事奈良原繁の求めで講習を開き、長沢雄楯らが学んだ。長沢は昭和十六年に没するまでこの学の研究と普及に努め、門下からは出口王仁三郎が出た。著者は、のちの霊学の先覚者たちがみな本田の恩恵を受けていると述べている。
原典より
二十三歳の頃京都に遊んで、ある狐憑きの十四歳の少女が巧みに和歌を詠むとの噂を耳にして実地研究に出かけたのが、霊学に首を突っこむに至るそもそもの動機となったという。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。