法眼中佐が写し留めた日月神示
どんな伝承か
岡本天明は、麻賀多神社の末社の前で霊動を受け、耳もとの声のままに日月神示の最初の二帖を書かされた。東京へ戻ってからも、書くまいと抵抗すると手が痛んでどうにもならず、筆を取ると痛みが止むという日が続いた。もっとも本人はそれを馬鹿にしており、平仮名と数字と少しの漢字と記号でつづられた奇妙な半紙を、そこらに放り出したままにしていたという。ところが、同じ鳩ノ森八幡に奉仕していた法眼という陸軍砲兵の中佐が大変な敬神家で、これは大したものだと感心し、自分で別紙に書き写したうえ浄書までして、三宝に載せ神前へ供えた。初期の神示がほとんど散逸せずに残っているのはこの人のおかげだと岡本は語った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。