大井村に降り続いた百四十枚の神札
どんな伝承か
弥富町荷ノ上の服部家へ水天宮の札が降ったのと同じ慶応三年、知多半島の南端に近い大井村では、十月朔日から十七日までは連日、十九日から十二月二十八日までは飛び飛びに、神仏混合で全部で百四十枚の札や守り、一朱銀・二分金までが天降った。降った家々は百七戸に及び、一軒に二枚から五枚降った家もあった。内訳は天照皇大神宮三十、秋葉大権現二十五、豊川稲荷大明神二十などである。村では仮屋を立て大竹を門に飾り、若者が毎日山車を引き出して札の降った家へ囃し込んだ。札は巻物にまとめられ、村の豊受神社境内の八百万社に九十七枚が今も御神体として奉斎されている。
原典より
そして珍らしいことには天降りお札類は一つの巻物として、その村の「豊受神社」の境内にある四摂社の一つ八百万社に、神札九十七枚だけがご神体として、今なお奉斉されているのである。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。