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コモで覆い隠された縁切り榎

所在地東京都板橋区本町(縁切り榎)
年代1861年(文久元年)
登場孝明天皇の妹和宮親子内親王
出典西郊民俗 縁切り榎

どんな伝承か

文久元年、孝明天皇の妹和宮親子内親王が十四代将軍家茂のもとへ降嫁した。中山道を下るその行列は、先の五十宮や楽宮の輿入れとは比べものにならない大がかりなものだったが、不思議なことに回り道はしていない。降嫁の一行はまっすぐ板橋宿を通り抜けている。ただし、そのときには縁切り榎を根元から枝葉の先までコモですっぽりと覆い隠し、行列の者の目にはいっさい入らないようにしたと語り伝えられている。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

西郊民俗 縁切り榎(長沢利明・西郊民俗シリーズ)

『西郊民俗 縁切り榎』は、長沢利明が東京都板橋区本町の縁切り榎について書いた民俗学の論考である。旧中山道板橋宿の榎が縁切りの神木とされた由来を、『新編武蔵風土記稿』や五十宮下向の際の注進書、身禄伝説、江戸の随筆と川柳、明治の講談本からたどり、樹皮を煎じて飲ませるまじないや小絵馬・祈願文の奉納、今の参拝のようすを記す。後半で足利の縁切り稲荷など各地の類例と比べて婚礼行列が避ける場所のタブーとの関係を考え、末尾に注と文献を付す。

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縁切り榎婚礼のタブー目隠し

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