縁切榎を避けた五十宮の行列
どんな伝承か
一七四九年(寛延二年)、閑院宮直仁親王の息女五十宮が八代将軍吉宗の嗣子家治に嫁した際、その行列は中山道板橋宿の縁切榎の前を通らず、根付道へ迂回した。下向に先立ち、巣鴨原町一丁目角左衛門店の源右衛門ほか一名が注進書を差し出し、下板橋宿はずれの近藤登の下屋敷の垣際に榎と槻の大木が並び立ち、土地では「えんつきいやの坂」と呼び習わして、縁組にかかわる者は決してその前を通らぬと伝えていることを告げた。この注進は容れられ、二人は褒美として銀一枚ずつを賜ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西郊民俗 縁切り榎(西郊民俗シリーズ・昭和中期~後期(推定1960年代~1970年代))
本書は東京都板橋区に存在した縁切り榎を中心とした江戸時代から現代に続く民間信仰の全容を描いた民俗学文献である。縁切り榎は旧中山道板橋宿の樹齢古い榎の木で、「縁つきいやの坂」という語呂合わせと、富士講中興の祖食行身禄が妻子との縁を切った場所という伝説により、男女の悪縁を断つ霊験があるとされた。樹皮の粉末を別れたい相手に飲ませるまじないが実践され、絵馬奉納も行われた。皇女の婚礼行列もこの地を避けて通行した。